
「お月見といえば団子とススキ、そして満月。けれど、なぜわたしたちは毎年秋に月を見上げるのでしょうか?」
毎年9月頃になるとニュースやSNSで「中秋の名月」が話題になりますが、その由来を深く知る人は意外と少ないのではないでしょうか。今回はお月見のルーツに迫り、その文化的背景から現代に生きる意味までを一緒にたどっていきましょう。
お月見のルーツは中国から
お月見の起源は、平安貴族の風雅な遊び……と思われがちですが、実はもっと古く、中国大陸までさかのぼります。中国では唐代から「中秋節」と呼ばれる行事がありました。8月15日の満月を祝う風習で、月餅を食べながら家族の団らんや五穀豊穣を願うのが一般的です。これは紀元前からの「月に宿る神を崇める信仰」や「農耕暦の節目」と結びついており、単なる娯楽以上の意味を持っていました。
この文化が奈良時代から平安時代の日本に伝わったのです。当初は遣唐使を通じて中国文化を積極的に取り入れていた時代。雅な貴族階級が池に舟を浮かべ、杯を交わしながら月を愛でる「観月の宴」が催されました。
平安貴族の「観月遊び」
宮廷文化が花開いた平安時代、月を眺めることは単なる娯楽ではなく、文学や芸術と深いつながりを持っていました。和歌や物語の中には「月」がたびたび登場します。『源氏物語』でも月見の場面が描かれ、月は無常観や恋心を象徴する存在でした。
貴族たちは月明かりを映す池のほとりで酒を酌み交わし、船に揺られながら和歌を詠みあう優雅な時間を過ごしていました。あなたも目を閉じて想像してみてください。虫の声が響く夜、秋風にそよぐ薄、そして湖面に映るまん丸な月。まさに魂を揺さぶるような情景がそこに広がっていたのです。
庶民へ広がったお月見
貴族の風雅な遊びとして始まったお月見は、鎌倉・室町時代を経て庶民にも広がりました。この頃から「農耕の祭り」としての要素が強くなります。米や芋の収穫に感謝し、月に供える風習が生まれたのです。
例えば、丸い団子は「満ち欠けのない月=円満」を意味し、家族の幸せと豊作を願う象徴になりました。また、ススキを飾るのは稲穂の代わり。秋の収穫期と深く結びつき、「自然への感謝」の思いが込められています。
つまり、貴族の遊興文化が時を経て庶民の信仰と結びつき、日本独自のお月見文化に変化していったのです。
江戸時代のお月見ブーム
江戸時代にはお月見が一大イベントに。江戸庶民がこぞって月見を楽しんだ記録が残っています。有名なのは「隅田川の月見舟」。川に浮かび、船の上から酒や肴を楽しみながら月を観賞する風習は、現代の花火大会に匹敵する大人気行事でした。
また、日本各地で「観月会」が盛んに行われ、歌舞伎や俳諧にも月が頻繁に取り上げられました。月はただの天体ではなく、人々の心を結びつける文化の中心だったのです。
現代に受け継がれるお月見
現代では、昔ほど宗教的・農耕的な意味が薄れ、イベント性が強くなっています。スーパーには「月見団子」や「月見バーガー」が並び、カフェでは「月見スイーツ」が登場。SNSでは「#お月見」で写真共有が盛り上がります。
けれど、根底にあるのはやはり「自然への感謝」と「人々のつながり」。友人や家族と月を見上げる時間は、忙しい日常を離れて心をリセットしてくれます。お月見のルーツを知れば、その時間がいっそう豊かに感じられるはずです。
お月見のルーツを知る意味
「ただの季節イベントでしょ?」と思うかもしれません。でも実は、お月見には千年以上の歴史があり、中国から伝来→貴族文化→庶民の収穫祭→現代イベントへと進化してきました。その背景を知ることで、団子を食べるだけのお月見が、ぐっと意味のある時間に変わるはずです。
2025年のお月見は10月6日(十五夜)、そして11月2日(十三夜)。あなたも、ふと足を止めて夜空を見上げ、そのルーツを思い浮かべながら月の光を浴びてみませんか?
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