
こんにちは。この記事をご覧いただき、ありがとうございます。
今日は、とても寂しく、でも絶対に記憶に残しておきたいニュースをお届けします。
あの昭和レトロの象徴「ひも付き飴(糸引きあめ)」が、日本から姿を消しました。あなたも、駄菓子屋でお気に入りの糸を真剣な顔で選んだ記憶がありませんか?
「ひも付き飴」とは?
「糸引き飴」とも呼ばれるこのお菓子。飴玉に糸がついていて、たくさんの糸から1本を選ぶくじ引きのようなワクワク感。飴の大きさはさまざまで、大玉が当たると「当たり!」!駄菓子屋を出る瞬間の誇らしい気持ちは、今も多くの人の心に残っているはずです。
国内唯一の製造元・耕生製菓が廃業
しかし、その「ひも付き飴」も、2025年5月末をもってついに製造終了。
国内唯一のメーカーだった耕生製菓(愛知県豊橋市)が、原材料の高騰、工場の老朽化、そして社長夫妻の体調不良を理由に、長い歴史に幕を下ろしました。
70年以上も前に建てられた工場から、最後のひも付き飴が旅立ったとき、SNSやニュースサイトには「子供の頃を思い出す」「最後にもう一度食べておきたかった」という惜しむ声があふれました。
「長年心を込めて製造していたので、少し残念なのと寂しさを感じています。多くのお手紙をいただき、感謝しております」(耕生製菓・三恵子さんの言葉)
懐かしさと寂しさ——SNSに溢れる共感
耕生製菓の廃業が報じられると、TwitterやX、ブログには昭和世代を中心に悲しみの声が続々。
- 「いつも駄菓子屋でひもを選んでたなあ…」
- 「あれがもう日本で食べられなくなるなんて信じられない」
- 「娘にも一度食べさせたかった」
ノスタルジーと、もう二度と味わえない喪失感。この気持ちは子供時代をひも付き飴と共に過ごしたすべての人の心に響きます。
ひも付き飴の“遊び方”と楽しい思い出
ひも付き飴はただの飴じゃありません。あの「くじ引き」のドキドキ。友だちと一緒にどの糸を引こうか迷い、大玉が出ると拍手喝采。
- 10円玉を握りしめて、駄菓子屋へ。
- 無数の糸がついた飴の束を見る。
- どれにするか真剣に悩みながら1本を選ぶ。
- 糸の先には当たり大玉、ハズレは普通サイズ……
- 帰り道、飴を舐めながら友達と盛り上がる。
このシンプルな体験が、子供時代の“自分だけの宝物”になっていました。あなたも、そんな思い出ありませんか?
もちろん今も心に残る“昭和の味”
糸引き飴(ひも付き飴)は、ただの駄菓子ではなく「昭和の文化」そのものでした。
バブル前夜、子供同士の冒険とコミュニケーション。小さな飴玉に込められた思い出や、兄弟や友人とのやりとり。その舞台最後のメーカーが消える今、改めてその価値に気付かされます。
廃業理由にみる、時代の変化
耕生製菓が廃業に追い込まれた理由は、原材料高騰や工場の老朽化、そして人手不足や後継者難でした。
これは日本の多くの老舗中小企業が直面する構造的な課題です。伝統を守り続けることの難しさ――時代の波にさらされて、消えゆく“昭和の象徴”がまたひとつ増えました。
いま何ができるか
「もう二度と食べられない」という現実に、私たちはどう向き合えばいいのでしょうか?
レトロブームで注目を集める今、残せるものは何なのか。
思い出を形に残すために、SNSやブログでエピソードを語り継ぐこと、家族や友だちと昭和の体験談をシェアすること、それこそが次の世代へのプレゼントになるのかもしれません。
もしひも付き飴が復活したら
今は製造元がいなくなってしまいましたが、もしかしたら、ふたたび小さなメーカーや地元の工房が新たに意志を引き継ぎ、リバイバル商品が生まれる日もくるかもしれません。
そんな未来を夢見ながら、まずは“これまでありがとう”と心から伝えたいと思います。
昭和と平成、令和をつないだ小さな飴
読んでくださっているあなたにも、忘れられない「ひも付き飴」との思い出が必ずあるはずです。
コメント欄で、ぜひあなたの物語を教えてください。たった1本のひもがくれた、小さな幸せ。
これからも、みんなで語り継いでいきましょう。
昭和の空気と共にお別れする「ひも付き飴」。懐かしさに浸りたいあなたも、まもなく消える日本の食文化を見届けたいあなたも、ここでそれぞれの記憶や思い出を分かち合いませんか。
読んでいただき、ありがとうございました。
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