いじめの「声」は、なぜネットに向かうのか?

「もう学校には言いたくないんです」「先生に話しても、結局何も変わらなかったから」
そんな言葉を、いじめ体験者の声として聞いたことはありませんか?
いま、日本全国で“いじめの告発先”が変わりつつあります。かつては先生や保護者、教育委員会が頼みの綱でした。しかし、被害者がその「公的ルート」に絶望し、SNSやネット掲示板、動画サイトを通じて“世界に直接訴える”時代が来ています。
学校が信頼されなくなった理由
「いじめはどこでもある」「子どもの間のトラブル」という言葉で片づけられてきた現実。
教育現場は、長年にわたって“見て見ぬふり”の構造を抱えてきました。
たとえば、文部科学省が公表した令和6年度の「いじめ認知件数」は過去最多の90万件超。表面化している数字だけでもこれほどですが、実際には「報告されていないケース」が無数にあるとも言われています。
学校は「報告が多ければイメージが悪くなる」と考え、教育委員会は「処理件数」を重視し、保護者会は「波風立てたくない」と口を閉ざす――その連鎖の中で、被害者の声はどこにも行き場を失ってしまうのです。
SNSという“最後の避難所”
Twitter(現X)、Instagram、TikTok、YouTube。
これらのSNSは、いじめ被害者たちにとって「最後の避難所」となりつつあります。
匿名で発信できるSNSは、リスクを取らずに「助けて」と言える場所です。
たとえば、ある中学生が自分のいじめ体験をTikTokで語った動画は、瞬く間に100万回以上再生され、「自分も同じ経験をした」「勇気をくれてありがとう」と多くのコメントが寄せられました。
ネットの力は、時に恐ろしい拡散力を持ちます。しかし、その力が“不正義に光を当てる”とき、被害者にとっては救いになることもあるのです。
教育委員会の対応に失望する人々
ネット告発が増える背景の一つに、教育委員会の限界があります。
「調査委員会を立ち上げました」「関係者に聞き取りを行いました」という報告だけで、実質的な解決策が示されないまま時間だけが過ぎていくケースが多いのです。
多くの保護者が言います。
「結局、学校も教育委員会も“身内”だから信用できない」と。
教育委員会に告発しても、学校側の情報しか採用されないケースが多く、被害者側の声は「一方的」とされてしまう。この“制度的不公平さ”が、人々をネットへと押し出しているのです。
ネット告発は「暴露」ではなく「叫び」
「ネットで暴露するなんて危険だ」「名誉毀損になる」
そう批判する声もあります。確かにその通りです。実名を挙げたり、事実関係を誤って伝えれば、法的リスクが伴います。
しかし、多くの被害者は“暴露したい”のではなく、“誰かに気づいてほしい”のです。
現実で無視され、制度に遮断され、誰にも信じてもらえない。だからこそ、ネットの向こうに“理解者”を探して発信しているのです。
匿名のSNS投稿の裏には、「助けて」「わかって」という切実な心の声が隠れています。
それは、社会が耳をふさいできた“救難信号”なのです。
告発によって変わる現実
ネット告発には、確実に社会を動かす力があります。
実際、過去にはいじめの被害者がSNSで事実を公表したことで、学校や教育委員会が再調査に踏み切った例や、国会で取り上げられた事案もあります。
「声を上げる人がいるから、隠されていた真実が明らかになる」。
これは、まさにネット時代の“市民の力”です。
もちろん、晒すことによる誹謗中傷や、逆に加害者への過剰攻撃など、課題も存在します。それでも、ネット告発が社会的な意味を持つのは、不正が可視化されるという大きな前進だからです。
「勇気」を支える社会へ
問題は、被害者本人だけに“勇気”を求めすぎていることです。
「あなたも声を上げなさい」「逃げなさい」ではなく、声を上げなくても救われる社会をつくることが、本当の意味でのいじめ対策でしょう。
そのためには、以下のような仕組みが求められます。
- 学校外の第三者相談窓口を、より身近に。
- SNS分析を活用し、いじめの兆候を早期発見。
- ネット通報を「告発」ではなく「相談」として扱う。
- 教育委員会の透明性を高め、市民による監査体制を設ける。
ネットは「危険」ではなく、“声を拾う場所”になれるのです。
私たちにできること
あなたの身近に、“少し元気のない子”はいませんか?
SNSに、誰かがさりげなく「つらい」「消えたい」と書いていませんか?
そうした小さなサインを見逃さないこと、それが最初の一歩です。
ネット社会である今、誰もが“救い手”にも“加害者”にもなり得ます。だからこそ、ひとり一人が「見守る力」を育てることが大切なのです。
告発して初めて声を聞く社会ではなく、告発する前に手を差し伸べられる社会へ。
そのための第一歩が、私たち一人ひとりの意識の変化なのです。
終わりに:沈黙から声へ
「ネット告発」という言葉には、どこか攻撃的な響きがあります。
しかし、ネットに流れる声の多くは、悲鳴であり、希望を探す祈りでもあります。
「誰か、気づいてほしい」。
「私はここにいる」。
その声を、冷笑ではなく共感で受け止めていくことが、いじめのない社会を実現する鍵です。
いじめ問題は、誰か“他人ごと”ではありません。
そして告発は、もう“異常な行動”ではなく、“最後の正直なSOS”なのです。
このブログが、誰かの背中を少しでも支える一文になれば幸いです。

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