
みなさん、こんにちは。最近ニュースやSNSを賑わせている「備蓄米」や「古米」問題、ご存じでしょうか?コメの価格高騰や備蓄米の放出をめぐって、国会やメディアでさまざまな議論が飛び交っています。しかし、その中身をよく見てみると、「古米」「古古米」「古古古米」といった言葉を使い、揚げ足取りや批判合戦ばかりが目立つ現状に、正直なところ情けなさを感じてしまいます。
今日はこの「古米」騒動を通して、日本の政治やメディアの問題点、そして私たち消費者が本当に考えるべきことについて、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。
備蓄米放出の背景と「古米」批判の始まり
2024年から続くコメ価格の高騰。スーパーに行けば、お米が高くて手が出ない…そんな声があちこちで聞こえるようになりました。この状況を受けて、政府は備蓄していたお米、いわゆる「備蓄米」を市場に放出することを決定。その量はなんと20万トンにも及びます。
ところが、この備蓄米の多くが「古米」や「古古米」「古古古米」と呼ばれる、数年前に収穫されたお米であることが明らかになると、国会やメディアで「そんな古い米を食べさせるのか」「家畜のエサにするものだろう」といった批判が噴出しました。
特に、ある野党議員が「備蓄米は1年で家畜のエサ米になる」と発言したことや、別の議員が「バナナの叩き売り」と揶揄したことが大きく報じられ、ネットでも大きな話題となりました。
「古米」=悪なのか?本当に知ってほしい備蓄米の現実
そもそも「古米」とは、前年以前に収穫されたお米のこと。「古古米」「古古古米」はさらに年数が経ったものを指しますが、日本の備蓄米制度では、一定期間を過ぎた米は主食用から飼料用(家畜のエサ)に転用される仕組みになっています。
しかし、ここで大事なのは「古米=食べられない」「古米=質が悪い」という単純な図式ではないということ。実際、農水省主催の試食会では、数年前の古米でも「どれを食べてもおいしい」と太鼓判が押されています。保存状態が良ければ、古米でも十分に美味しく、安全に食べられるのです。
また、備蓄米は災害時や価格高騰時の「いざ」という時に市場に供給するために保管されているものであり、決して「余ったから古くなった」というものではありません。むしろ、こうした備蓄政策があるからこそ、私たちの食卓が守られているのです。
揚げ足取りに終始する議員とメディアの責任
本来、こうした非常時には与野党の垣根を超えて、国民のために建設的な議論を深めるべきです。しかし、現実には「古米」や「価格設定」など、細かな点を揚げ足取りするばかりで、本質的な議論が置き去りにされているのが現状です。
例えば、備蓄米の価格を5kg2000円と設定したことに対して、「バナナの叩き売り」と批判したり、「古古古米は家畜のエサになる代物」と決めつけて非難したりする発言が目立ちました。こうした発言は、消費者の不安を煽るだけでなく、農家や流通関係者の努力を無視したものと言わざるを得ません。
また、メディアも「失言」や「揚げ足取り」を面白おかしく取り上げるばかりで、備蓄米制度の意義や古米の安全性について丁寧に説明する報道はごくわずかです。
本当に問われるべき課題は何か
では、私たちが本当に考えるべき課題は何でしょうか?
- 備蓄米の放出が一時的な価格安定策にしかならないこと
- コメの流通や価格決定の仕組みが複雑で、消費者にとってわかりにくいこと
- 農家の収入安定と消費者の負担軽減をどう両立させるかという構造的な問題
たとえば、備蓄米を安く放出しても、全体のコメ価格にはほとんど影響がないという指摘もあります。本当にコメの価格を下げたいのであれば、減反政策の見直しや輸入関税の調整といった、より根本的な改革が必要です。
また、古米批判に終始するのではなく、備蓄米制度の意義や、農家や流通業者の努力にもっと目を向けるべきではないでしょうか。
消費者としてできること、考えるべきこと
私たち消費者も、単に「古米は嫌だ」「安い米がほしい」と声を上げるだけでなく、なぜ今このような問題が起きているのか、どんな仕組みでお米が私たちの食卓に届いているのかを知ることが大切です。
- 備蓄米が安く手に入るのは、国が長年にわたり備蓄政策を続けてきた賜物
- 古米でも保存状態が良ければ十分に美味しく、安全に食べられる
- 農家や流通関係者の努力や苦労を理解し、感謝する気持ちを持つ
こうした視点を持つことで、表面的な批判や揚げ足取りに惑わされず、本当に必要な議論や改革を後押しすることができるはずです。
おわりに:健全な議論と情報リテラシーを
今回の「古米」騒動は、日本の政治やメディアの課題を浮き彫りにしました。揚げ足取りや失言探しに終始するのではなく、国民のために建設的な議論を行う姿勢が、今こそ求められています。
そして、私たち一人ひとりも、正しい情報を見極め、冷静に考える力「情報リテラシー」を身につけることが大切です。お米一粒の背景には、多くの人の努力と知恵が詰まっています。ぜひ、表面的な批判に惑わされず、より深い理解と感謝の気持ちを持って、日々の食卓を楽しんでいきましょう。
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