みなさん、こんにちは。今日は、阪神淡路大震災から30年という節目を迎えるにあたり、あの日、命の選択に迫られた医師たちの物語をお伝えしたいと思います。1995年1月17日、午前5時46分。兵庫県南部を襲った大地震は、多くの人々の人生を一変させました。その中でも、被災地の最前線で奮闘した医療従事者たちは、想像を絶する困難な状況に直面しました。
淡路島の病院で記録された震災当日
震源地となった淡路島の病院では、震災当日の様子がビデオカメラに収められていました。
そこには、次々と運び込まれる重症患者たちと、彼らの命を救おうと必死に奔走する医療スタッフの姿がありました。その中で、ある衝撃的な指示が飛び交います。「止めなさい、ストップ!」
「助けられる人を助けないと。助からない人はあきらめな」この言葉を発したのは、外科部長の松田昌三医師(故人)でした。
トリアージという重い決断
松田医師が下した決断は、医療用語で「トリアージ」と呼ばれるものです。大規模災害時など、多数の傷病者が同時に発生した際に、限られた医療資源を最大限に活用するため、治療の優先順位を決定する手法です。しかし、1995年当時、日本の医療現場でトリアージという概念はほとんど知られていませんでした。
そんな中、松田医師は瞬時の判断で、助かる見込みのない患者への蘇生処置を中止する指示を出したのです。想像してみてください。目の前で苦しむ患者さんに「もう手を止めて」と言わなければならない状況を。どれほどの葛藤と苦悩があったことでしょうか。
医師たちの葛藤
当時、研修医だった石田さんは、松田医師から心臓マッサージを止めるよう指示を受けました。
石田さんは、なぜ松田医師がそのような判断をしたのか、理解できたと言います。「多数の重症者が出た時に、全力で一人ずつにやっちゃダメなんだと。それをやったら助かる人まで助からなくなる。助けないといけない人を助けないといかんのやで」これは、松田医師が石田さんに伝えた言葉です。
全ての責任を負う覚悟で、松田医師は苦渋の決断を下したのです。
記録に残された葛藤の瞬間
松田医師の決断の背景には、深い葛藤がありました。ビデオには、松田医師がトリアージを躊躇した瞬間も記録されていました。
家の下敷きになり心肺停止状態で搬送された男子中学生。そして数時間後に運ばれてきた、同じく心肺停止状態の妹。子供たちを前にして、松田医師はすぐには心臓マッサージの中止を決断できませんでした。看護師の清水久美子さんは、兄弟の母親への説明に付き添いました。
「30分も心臓マッサージしたけれども、全然肺が動かなかったので心臓が動かなかったので、何時何分にやめさせていただいて、昇天させていただきましたっていうご説明を松田先生自らされたんです」子供の命を諦めるという決断。その重さは、想像を絶するものだったでしょう。
トリアージの経験を伝え続けた医師たち
松田医師は、震災後も精力的に活動しました。災害医療の学会や講義に奔走し、トリアージの重要性を訴え続けました。
しかし、腎臓の病と戦いながらの活動は、松田医師の体を蝕んでいきました。震災から8年後、57歳という若さでこの世を去りました。松田医師の志は、多くの医療従事者に引き継がれています。震災当日、淡路病院の当直医だった水谷さんは、今も救急救命士を目指す学生たちに、あの日の経験を語り続けています。
「災害医療と判断した時は、場合によっては見捨てることもやむなしで、切り捨ての判断をしないといけないかもしれない」この言葉には、30年前の経験が凝縮されています。
30年後の今、私たちに何ができるか
阪神淡路大震災から30年。私たちは、あの日の教訓から何を学び、どう行動すべきなのでしょうか。
- 災害への備えを怠らない
日頃から、非常食や飲料水の備蓄、避難経路の確認など、災害への備えを心がけましょう。 - 地域コミュニティの強化
隣近所との関係を大切にし、災害時に助け合える関係を築いておくことが重要です。 - 医療リソースの適切な利用
軽症の場合は無理に救急車を呼ばず、重症患者のために医療リソースを確保することも大切です。 - 防災・減災教育の推進
学校や職場、地域で定期的に防災訓練や講習会を実施し、知識と技能を身につけましょう。 - 心のケアの重要性を認識する
災害後の心のケアも重要です。PTSD(心的外傷後ストレス障害)などへの理解を深め、支援体制を整えることが必要です。
命の重さを再認識する
30年前、松田医師たちが直面した「命の選択」。私たちは、この重い決断から何を学ぶべきでしょうか。それは、一人一人の命の尊さであり、同時に、限られた状況下で最善を尽くすことの大切さではないでしょうか。災害は、いつ、どこで起こるかわかりません。しかし、私たちにできる備えはたくさんあります。日頃からの心構えと行動が、いざという時の力になるのです。阪神淡路大震災から30年。亡くなった方々への追悼の気持ちを新たにするとともに、生き残った私たちが、これからの社会をより強く、優しいものにしていく責任があります。あの日、命の選択に迫られた医師たちの思いを胸に、私たちは前を向いて歩み続けなければなりません。そして、次の世代に、この経験と教訓を確実に引き継いでいく必要があるのです。皆さん、一緒に考えてみませんか?私たちにできること、そしてすべきことを。30年前の出来事を、決して風化させることなく、これからの防災・減災に活かしていくために。あなたの周りの大切な人たちと、この話題について語り合ってみてはいかがでしょうか。そして、もしもの時のために、今日からできる備えを始めてみませんか?一人一人の小さな行動が、大きな力となり、未来の命を救うことにつながるかもしれません。阪神淡路大震災30年。私たちは、決して忘れません。そして、学び続けます。命の大切さを、そして人々が支え合うことの素晴らしさを。
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