2026年衆院選──またしても繰り返される「偏向報道」の構図

2026年の衆議院選挙、あなたはどんなニュースを見ていますか?
テレビをつければ、有名コメンテーターが「今回の選挙の焦点は○○だ」と同じような論調を繰り返し、新聞を読めば一面から社説まで似たような視点で候補者を評価している。まるで一つの「物語」があらかじめ書かれているかのようでした。
SNSでは「テレビと現実が違いすぎる」との声があふれ、ネットニュースやYouTubeの政治系配信者が急速に影響力を拡大させているのが今回の特徴です。
それでも依然として、テレビや大手紙の報道姿勢が選挙結果に大きく影響することは否定できません。
ここで改めて考えてみましょう。
なぜ、「オールドメディア」と呼ばれる既存報道機関は、これほどまでに一方的な情報を流してしまうのか?
そして、私たち有権者がその影響をどう受け止め、どう向き合うべきなのか?
テレビ・新聞の「偏向」はいつから始まったのか
テレビや新聞が偏っている──そんな指摘は決して最近始まったものではありません。
しかし2026年の今、それがかつてないほど顕著に感じられるのは、ネットとの情報比較が容易になったからです。
たとえば、主要紙が一斉に報じた「与党の勢い鈍る」という見出し。
同じ頃、地域密着型の独立系メディアでは「地方では与党が堅調」と真逆の空気が伝えられていました。
両者のどちらが正しいということではなく、**「報道機関によって世界の見え方がこれほど違う」**という事実こそが、偏向の本質なのです。
偏向には大きく三つのタイプがあります。
- 言葉の選び方による印象操作(例:「失言」か「発言」か)
- 報じる・報じないの選択による情報の取捨選択
- 専門家コメントの偏りによる誘導的構成
これらの積み重ねが、知らぬ間に「空気」を作り出します。
要するに、情報の「量」よりも「方向性」が結果を左右しているわけです。
なぜ偏るのか──オールドメディアが抱える「構造的問題」
ではなぜ、オールドメディアは中立でいられないのか。
理由は単純です。「視聴率」「売上」「スポンサー」、この三つに縛られているからです。
政治報道においても、視聴者が反応しやすい「対立構図」や「劇場型の物語」が好まれるのが現実。
報道番組はニュースというより“エンタメ化”し、「誰が勝った」「誰が失った」にフォーカスします。
その背景には、政治部記者や編集幹部の“業界的な癒着”もあります。
政治家との関係、役所への取材依存、記者クラブ制度という情報の囲い込み。
結果として、メディアの側が「政権監視者」であるはずなのに、「構造の一部」に組み込まれてしまっているのです。
実例:与党叩きと野党ヨイショの不均衡
2026年選挙報道でも顕著なのは、与党の失言や不祥事だけを過剰に取り上げる一方、野党側の問題をほとんど報じないという“選択的報道”です。
たとえば、あるテレビ局は与党幹部の一言を一週間連続で取り上げ、「候補者のイメージ悪化」を演出しました。
一方で、野党候補の金銭問題は短く触れただけで、翌日には完全にスルー。SNSでは「報道量の差」に怒りの声が噴出しました。
このような不均衡な報道は、世論調査にも影響を与えます。
視聴者は無意識のうちに「印象」で候補者を判断し、投票行動にまで影響が及ぶのです。
SNS時代のカウンターとしての「市民目線メディア」
しかし、2026年選挙では希望の兆しも見えます。
YouTubeやX(旧Twitter)などのSNS上では、個人が独自の情報分析や現場取材を行い、偏った報道を検証する動きが拡大しました。
有権者自身が「メディアのメディア化」する時代——それが、今回の選挙で最も象徴的だった変化です。
SNS発の情報は玉石混交ですが、少なくとも従来の一方向的な報道を揺り動かす存在となっています。
たとえば、独自データをもとにした選挙区分析や、「現地で投票所の列を見てみた」という市民レポートが、多くの人の認識を変えました。
リアルな声が可視化されたことで、メディアの“作られた空気”に抗う力が強まったのです。
「偏向」を批判する前に問われる、私たちの情報リテラシー
ここまでメディア側の問題を見てきましたが、忘れてはいけないのは、受け手である私たち自身の姿勢です。
「どの情報を信じるか」は、最終的には個人の判断です。
そして判断には“比較”が必要。
複数のメディアを見比べ、SNSで反応を確認し、自分なりの視点で整理すること——それが現代の情報リテラシーの基本です。
同時に、「自分の意見に都合のいい情報だけを信じる」ことも、もう一つの偏向です。
バランスを取る訓練こそ、民主主義を根底で支える力なのだと思います。
結語──2026年の経験をどう次に生かすか
2026年の衆院選は、報道と政治、そして私たちの関係を映し出す鏡です。
オールドメディアの信頼が揺らぐ今、
「誰が真実を語っているか」よりも
「誰が複数の真実を見ようとしているか」が問われています。
それは記者でも政治家でもなく、私たち一人ひとりの問題です。
テレビが同じ調子で政治劇を演じても、もう多くの人が気づいています。
「何かがおかしい」と。
そして、声を上げはじめています。
オールドメディアが変わるには時間がかかるでしょう。
しかし、私たちが“見る目”を磨けば、報道は自ずと変わっていく。
2026年の選挙は、その第一歩です。

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