
引退宣言——誰もが見た「終止符」のはずだった朝
2025年7月21日午前4時半。
札幌の選挙事務所に集まったのは、ごくわずかな支援者とスタッフ、そして記者のみ。
「選挙には(もう)出ません。これで終止符です」
鈴木宗男さんが深く頭を下げ、その場は静かな緊張感で包まれます。
23年ぶりの自民党復党、比例代表最終盤まで善戦したものの、開票速報は「敗色濃厚」と報じていました。
これが「天国と地獄」を味わってきた政治家の、最後の花道—そんな空気だったのです。
波瀾万丈の政治家人生——幾度も逆境に立つ
宗男さんといえば「波瀾万丈」とは彼のための言葉でしょう。
- 北海道足寄町生まれ、衆院8期・参院2期を数え、防衛政務次官や北海道開発庁長官など要職を歴任。
- 2002年、自身の北方四島支援を巡る疑惑で自民を離党。その後も紆余曲折を経て「新党大地」を立ち上げ、北海道の現場から国政を追い求めてきました。
- 有罪判決を受け実刑、1年間の収監…だが「生涯政治家」を掲げ復活を果たす。
誰もが倒れると思われた不祥事も、地元の支えと信念で乗り越えてきた宗男さん。
「天国と地獄を経験しながらも、幸せな政治家人生だった」と彼は言います。
ときに批判され、ときに喝采された。その全てを自分の人生として受け止め、歩んできたのです。
支え合う家族、娘・貴子さんとの親子の絆
宗男さんの選挙を語るうえで欠かせない存在。それが長女で衆院議員の鈴木貴子さんです。
どんな逆境にも一緒に街頭に立ち、「最後の戦い」と、父娘で訴える姿は多くの有権者の心を動かしました。
選挙戦最終盤、娘・貴子さんが会場に姿を見せて親子で抱き合い、宗男さんが声を詰まらせながら「ありがとう」と伝えるシーンはニュースにもなりました。
「お父さん、笑顔が一番似合うから」。
そう励まされて、宗男さんはついに笑顔を取り戻したのです。
何度でも立ち上がる—「北方領土」への熱い想い
宗男さんの政治家人生、その核とも言えるのが「北方領土問題」への情熱です。
北海道の納沙布岬に立ち、「なんとしても北方領土を取り戻したい」と自らのライフワークを貫きました。
- 現職時代からロシアとのパイプを生かし、日本の領土問題解決へ道筋を付けようと奔走。
- 島を追われた元島民の高齢化にも強い危機感を抱き、現場で一貫して訴え続けました。
この「最後の戦い」でも「北方領土のために働く機会を、もう一度私にください」と街頭で何度も頭を下げる姿がありました。
奇跡の逆転—ほんの数時間で運命が変わった
夜が明けて、開票が進んだ午前8時半ごろ。
とある報道機関が「鈴木宗男、当選確実!」と速報を流します。
事務所も一瞬ザワつきましたが、しばらくは誰もその事実を信じられません。
「こんなことが、本当に…!?」
数時間前には涙ながらに「引退します」と宣言した本人が、「奇跡の復活」で事務所に戻ってくる。
支援者は皆、宗男さんの到着を心待ちにし、抱き合い、涙を流し、口々に「信じていて良かった」と声をかけました。
宗男さん自身、
「目に見えない力に生かされた」
と感謝しきり。「人は一人では生きられぬ。縁と恩と運、そのすべてに私は恵まれていた」と語りました。
支援者の想いと選挙の舞台裏
今回の選挙、宗男さんは大きな組織の支えもない孤軍奮闘でした。
「組織や大きな団体がつかない鈴木宗男が当選できたのは、人間関係が一番の勝因だ」と語っています。
- 北海道各地を回り、地元の声を一つ一つ拾い上げる泥臭い選挙。
- 多数派におもねらず、自分の信じる「北方領土」への情熱を訴え続ける。
- それに呼応するように、地元の有権者から「最後まで諦めるな」と多くの声援。
どんな絶望にも、彼を見捨てない人々がいました。それこそが「奇跡の当確」を支えた最大の力だったのではないでしょうか。
運命を動かした「何か」—あなたなら、どう受け取りますか?
今回、あなたがこの記事をここまで読んでくれたこと自体が、一つの「縁」かもしれません。
「何度倒れても立ち上がる」「信じれば奇跡は起きる」
そんな宗男さんの姿に、わたしは「人間の持つしぶとさ」「運命の不思議さ」を強く感じました。
あなたにも、今は厳しい現実や壁があるかもしれません。でも、人生に時々訪れる「奇跡」は、諦めずに努力し続けた人だけに微笑むのではないでしょうか。
エピローグ:77歳のチャレンジャーがもたらすもの
77歳で迎えた「最後の戦い」。
勝ったからすべて良い—そんな単純な話ではありません。
でも、敗北宣言からの大逆転劇は、多くの人に「生き抜く勇気」と大切なメッセージを与えてくれました。
あなたの人生にも、きっと素晴らしい「奇跡の瞬間」が訪れるはず。
そのとき、あなたは自分を信じられますか?
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
これからも一緒に、「奇跡」を信じて歩んでいきましょう。
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